今日は、保育園は休み。新入園の準備なんだそうだ。平日仕事だから保育園に預けているのに、保育園の都合で親が平日休まなくちゃならんとは、どういうことやねん、と矛盾を感じるが、まぁ仕方ない。
この休みを前に、保育園ではいろいろと行事があった。
・お別れ遠足
・お別れパーティ
・最後のクラス懇談会
・絵などの作品集をもらったり
・先生とやりとりした連絡帳をもらったり
作品集をもらった日は、入園以来ずっと貼ってあったアタシと娘のツーショット写真、直近に作った足型おひなさま、みんなとりはずされたスッキリしちゃった教室を見て娘が
「あれ、みかちゃんとママちゃんのがないなぁ〜。○○くんのは?○○ちゃんのは?○○ちゃんのもないなぁ〜」
本人はどういう意味か全く理解してないけれど、そう語りかけられたアタシのほうが、寂しさ満開になってしまった。
今週でこのクラスは最後。クラス替え後は、会えない友達もいるんだ。
最終日となった翌日26日も、いつもなら可笑しくて笑ってしまう、クラスメイト君の「みか〜、帰るぞ〜」という亭主なみの呼び声も、もう聞けないかもと思うと寂しくて。結局、新しいクラスには、前のりんご組のお友達が4人もいるので、実は寂しがりやで人見知りな娘もなんとかやっていけそうなんだけどもね。
ということで、新編成での登園を前に、いろいろ入用なものの買い物も兼ねて娘とお出かけした、予想外の休日。でも、進行中の仕事の最後のヤマ場でどうしても会社に顔を出さなくてはいけなくなったので、娘を連れて南森町〜境筋筋方面まで足を伸ばした。ちょっと小雨勝ちな天気だったけど、電車の窓から見える柴島浄水場、散歩で訪れた天満宮もちらほらと桜がほころびていた。
最近読んだ、いとうせいこうさんの「自己流園芸ベランダ派」には、植物の生命力を見つめることは、ヒトを癒したり励ましたりする効果がある、なんて意味のことが書いてあったけど、この季節の桜ってのは、あらかじめ、別れの季節を承知していて、その寂しさを一瞬でも忘れさせるためにあんなに一生懸命咲くのじゃなかろうかと思った。そのうち桜自身も散っちゃって寂しさを振りまくんだろうけど、その後にたくさん葉が出てくるんだ。
とにもかくにも、この1年間、娘1歳5ヶ月から2歳4ヶ月の時期とはお別れ。猛スピードで突っ走ってどうにかこうにかやってきたアタシ、お世辞にもいい母親、いいママ友とは言えなかったけど、たくさん考えて、行動して、経験した。短くも濃かった時間は、決して忘れることのない、二度とない1年。過ぎ去ってしまうけど、きっと、その後の青々とした葉につながることでしょう。
そういや職場の同僚も今月いっぱいで出産退職・・・早く桜が満開にならないものだろうか。