ふじまるぽーたる

音楽、自作好き筆者の愉快な日々の記録。

ありがとうマイケル

 6/26、マイケル・ジャクソンが亡くなった。
 朝、いつものように出かける支度をしながら見ていたTVのニュースで「未確認情報」として知った時は、正直、「ライブやりたくない病とかじゃないのぉ?ほら、オークションもドタキャンしたし」ってな気持ちもないわけではなかった。でもその後、時間が経ってもなかなか情報が更新されないので「これはマジや。マジやから、こんなデカすぎること、そう簡単には流されへんねや」という確信に至った。
 残念ながらその根拠もない確信は当たり、その後、見聞きするニュースは、その「マジ」を裏付けるものばかり。マイケルファンの相方さまの虚脱感は見ていてもわかるほどで、ウソだという証拠さがしなのか、真実だという証拠を集めて自分を納得させようとしているのか、WEBやTVに釘付け。とにかく、マイケルの突然の不在に自分の身の置き所というか、気持ちの置き所がなくて探してるみたいだった。
 相方さまほどマイケルファンではなかったアタシ。でも、本当に残念で寂しくて泣けてくる。世界中のファンがクインシー・ジョーンズの様に「自分の魂の一部も彼と共に去った」と言う中、何でアタシもそう感じるのかなと考えてみた。
  アタシのマイケルとの出会いはアルバム「Off The Wall」。洋楽聴き始めの頃、姉がダビングしたカセット(MSGとのカップリングだったような:笑)で、何度も何度も繰り返し聞いた。全編に渡るハッピーな雰囲気、今でも一番好きなアルバムだ。その後の「Thriller」「BAD」と続く爆発的なヒット作は、MTVが本格化した時代でもあったので、これまた何度も何度も見た。アタシにとってのマイケルは、音楽リスナー遍歴の中でもっとも幸せな時期、つまり、いろんな音楽を聴いて新しい発見に喜び、さらにたくさんの音楽を聴く、そんな時期にずっと大スターとして存在していたので、マイケル=アタシの中の幸せ時代を象徴する一人でもあったわけなのだ。
 その後、大学に入って音楽の聴き方も変化し、アタシ内マイケルの大きさも変わってしまったわけだけど、よく比較されるPRINCEが逆境を乗り越えて着実なキャリアを進む中、彼の迷走ぶりは残念だったし、彼のポテンシャルはまだまだこれで終わるようなもんじゃないと思っていたので、今年のツアーの話はとても楽しみだった。
体が動かなくても、あの歌声がある!
R&Bの底力を見せるのはこれからだぞ!
そして、あのはじけるような笑顔をもう一回見たかったのだ。
 残念ながら、なぜだかはわからないけど、それはもうかなわなくなってしまった。
 彼が亡くなってからいろんなメディアで取り上げられていているけど、一番腹が立つのは、彼の死因の憶測から、世間のドラッグ問題や整形手術ブームと関連付けるやつらだ。
お前らにマイケルの何がわかる!
マイケルとその辺のんと一緒にすんな!
そらアタシだってわからんけど、もうちょっとマシなこと言うぜ。ってか、彼の功績とか、そいうの、言えないの?
 彼と一緒に、アタシの幸せの記憶は無くなってしまうのかな。ううん、今こそ、少し遠ざかっていた彼の曲をもういちど聴こう。たくさん聴こう。なんか、そう思う。
 一説には、鎮痛剤を多用していたとか。あれだけ踊れて歌える彼が、体を動かすのに痛みを伴ってしまうなんて、どれだけ不自由な思いだったことだろう。「お星さま」になった今、痛みを感じることなく歌ったり、踊ったりできているよね。
 ありがとう、マイケル。忘れないよ、マイケル。